どうも、たかしです。
皆さん、クソコメしてますか? 今すぐやめましょう。
ちなみに僕はクソコメをしたこともなければ、今のところされたことも無い、クソコメとは全く無縁の人生を歩んできた人間です。(多分)
基本的に「動画やその他コンテンツのコメント欄への書き込み」ということをしてきませんでしたし、僕自身が発信したコンテンツもほとんどがまともに閲覧されてこなかったので、そもそもクソコメと関わり合いになる土壌がなかったんですよね。
ですが、ひと月ほど前に投稿した「庭から出た鉄くずを売ってみた」の動画が先日とうとう1000再生回数を突破し、これはもう、いよいよいつクソコメが飛んできたとしてもおかしくありません。
という訳で今回は、クソコメを付けられてしまった時の心構えについて、「クソコメ錬金術」という戦略方針のもと事前に備えておきたいと思います。
「クソコメ錬金術」……そう、クソコメは金になるのです。
今回の記事では「クソコメを付けられるということは素晴らしいこと」という立ち位置のもと、クソコメを付けられることがなぜ良いのかについて解説していき、クソコメに対してはどう対処したらいいのかについても提唱していきます。
冒頭でも述べたように僕は全くクソコメと関わりのない人生を歩んできたため、今回の記事は実体験がまるで伴っていない、ある種「傾向と対策」的なニュアンスの物であるということを踏まえたうえでご閲覧いただけるとありがたいです。
※この記事はあくまで「クソコメを付けられること」を称賛したものであり、「クソコメを付けること」を推奨するものではありません。「クソコメを付ける=うんち」だと僕は考えていますので、どうか誤解の無いようよろしくお願いします。
それではやっていきましょう。
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①「クソコメ」の定義
「クソコメ」と一言にいってもその解釈は多岐に渡るため、まずはこの記事における「クソコメ」の定義を確認しておきましょう。
実は「クソコメ」とブラウザ上で検索してもあまり定義づけるような記事が出てきません。ですので、類似する概念としてここではwikipediaの「クソリプ」のページを参照していきます。
そこにはこうあります。
クソリプとは、「クソなリプライ」のことで、(中略)「セクハラ系」「愚問系」「自己中系」「上から目線系」「難癖系」「偏見系」「恨み節系」「誤解系」「煽り系」「自分語り系」「暴言系」「意味不明系」に分類される返信を指す言葉。
wikipedia「クソリプ」
このように、「とにかくクソ」と言えるようなコメント・返信全てを「クソコメ・クソリプ」と呼びます。
いくつか事例を挙げていきましょう。
ツイッター(現X)に浴衣を着てお祭りに行った際の写真を投稿すると「着物が左前ですよ」「襟足が崩れていてもったいない」「着物が可哀そう」などといったリプライが付いた
サザンオールスターズ「TSUNAMI」の歌ってみた動画を投稿したところ「3.11の被害にあった人の気持ちを考えろ」「非国民」などとコメントが付いた
小屋暮らしの様子を伝えるブログ記事を投稿したところ「まだ若いのに、遊んでないで働け」「こんな非現実的な生活は長続きしない、止めとけ」などのコメントが付いた
いかがでしょうか、皆さまの思う「クソコメ」と合致する事例はありましたでしょうか。
個人的には「○○警察」のジャンルに入るコメントは今最も「クソコメ」としての隆盛を極めている物なんじゃないかなと考えています。昨今のクソコメは、純粋に相手を貶めてやろうという「誹謗中傷」は割と鳴りを潜めて、一見「正論・アドバイス」に見えなくも無いような余計なお世話的な指摘である「○○警察」系が多くなっているんじゃないかなと。
最近ではあらゆるSNSやニュース系のサイトでも誹謗中傷と取れるコメントは「通報・削除」機能が有効に働いていて、人々の目に触れるよりも先に削除されがちといった背景もそこにはある気がしますね。結果として「誹謗中傷」ではないけれども決して気持ちのいい物とは言えない「○○警察」だったり「批判・非難」的なクソコメが生き残ったと。
ただ、クソコメ全てに共通することとしては、「コメントを付けられた側の気持ちを考えずに、自分が気持ち良くなりたいだけの発言をしている」ということが言えるんじゃないかと思います。
②なぜ「クソコメを付けられることは良いこと」なのか
クソコメは金になります。
僕がこれまでに実際に見たことのある「クソコメ錬金術」の事例を挙げると、ガジェット・生活改善系YOUTUBEとして有名なトーマスガジェマガ様なんかは、バズッた動画の後には必ずと言っていいほど「クソコメ反論」の動画を投稿して再生回数倍プッシュを試みていますし……
僕がツイッターを始めたかなり初期の方から相互フォローしている、超節約生活を実践している「500万セミリタイアのひばかり」様も、YOUTUBEについた超長文クソコメをツイートしたところ、通常の倍近くのリアクションを得ていました。
つまり、単純なクソコメの活用法として、「クソコメへの反論・感想・解説」などとして新たにコンテンツに取り入れることによって、クソコメの数だけコンテンツを生み出すことができるというものがあります。
また、上記2つの例のように積極的にクソコメを活用しないまでも、クソコメが付くということはそのコンテンツ自体が価値あるものということの証明となるという点において、クソコメは金になると言えます。
コンテンツには様々な種類・目的のものがありますが、それら全ての根底として共通することに「消費者の欲求・ニーズを満たす」ために存在している、ということが言えると思います。つまり、より多くの消費者の欲求・ニーズを満たせたコンテンツこそが「より良いコンテンツ」なのです。
では「クソコメが付いた」コンテンツが、その時点で一体どれだけの消費者のニーズが満たされているのか考えてみると
- クソコメが付く→それぐらい多くの人の目に触れている→多くの人がニーズを満たせている
- クソコメをした人→クソコメをしたいという欲求が満たせる
- クソコメを見ている人→「コイツやばww」と、香ばしい人をウォッチしたいという欲求が満たせる
これだけの人がそのコンテンツで欲求・ニーズを満たすことができたのだと推測することができるのです。
また、クソコメが付いたことによって消費者がそのコンテンツの消費を辞めることは基本的には無いと考えられます。
例えば、自分が好きな動画のコメント欄に批判的なコメントが付いていたとして、「確かにその通りだ、もう見るのやめよう」とは普通はならず、「何だコイツww ○○さんも大変だなww」ってなりますよね。僕ならなります。
つまりクソコメとは何らそのコンテンツの価値を貶めることにはならずむしろその逆、そのコンテンツの価値を証明し、更には「クソコメ反論」などの話題として取り上げることにより二重にコンテンツを盛り上げることができる、正に「百利あって一害無し」とでも言える存在だと言えるのです。
③クソコメへの対処
これまでの考察を踏まえ、クソコメへの対処法を挙げるならば、それは「コンテンツ管理者の自由にしていい」ということが言えるでしょう。
クソコメへの対処にはこれといった正解は無く、そしてどんな風に扱っても正解だと言えるでしょう。クソコメとはもはや、そのコンテンツに降ってわいた資産なのです。
上記で示したように「反論動画」として話題にあげても良し、ツイッター(現X)に晒すもよし、無視してもいいし削除しても構いません。資産なのですから、どうしようと管理者の自由なのです。
もちろん利用しているサービス上のコンプライアンスに抵触するような扱い方には問題がありますが、何せ「クソコメ」ですから、その取扱いは相当雑に扱ったとしても社会的批判には至らないことは、これまでの数々のクソコメ反論動画達が実証してくれています。
霜降り明星の粗品さんなんかは、実に上手く自分に降ってわいたアンチや粘着のクソコメを活用していますよね。
流石に上記動画のクソコメはエグさが段違いすぎて同じには言えないかもしれませんが、このぐらい雑に扱ったとしても問題にはならないのが「クソコメ」。
僕も、自分の動画やブログにクソコメがついたりした日には、目を輝かせて何かしらの媒体でしゃぶり尽くしたいなあという所存でございます。
④まとめ
今回は「クソコメ錬金術」について考察し、クソコメにはどのように対処するのが正解なのかという現在の自分なりの心構えについて解説していきました。
重ねて申し上げたいのは、本ブログ記事の趣旨はあくまで「クソコメを付けられた側の心構え」について語っているのであり、「クソコメを付けること」「クソコメをする人」に対して推奨するものでは決してありません。
むしろ、クソコメをする人に対して「君がしたクソコメは、むしろつけられた側にとって利益にしかなっていないんだよ」と知らしめるものであります。
いやぁ、僕の投稿した動画やブログにクソコメが付くのは一体いつになるのでしょうか。
一応、ご覧になった方が不快にならないようなコンテンツ作りを心得ているつもりではあるのですが、全ての人にとって快適なコンテンツ作りなんて絶対不可能ですからね。
恐ろしいような、でもちょっと楽しみもあるような……でもやっぱ怖いからやめてほしいような、そんなクソコメについての記事でございました。
以上で今回の記事は終わりです。
また次回の記事でお会いしましょう。ここまでお読みいただきありがとうございました。