note記事を投稿しました
今回は小屋暮らしを通して、シカも他人も僕にとっては全く同じものであるとの悟りを得たことについて書いた記事になります。
今回のnoteの内容は、先日ベスフレ(マイベストフレンドの略)と話した時に出た話題から、自分の中のモヤモヤしたものを言語化したものになります。
ベスフレは言いました。「『私のことを○○という属性としてではなく一人の人間としてみて欲しい』という言い回しがあるけれども、人間と言うのも一つの属性であって、私たちはこの人間と言う属性だけは手放すことができないというのが私たちを苦しめている病根なのではないか」と。
普段であれば僕はベスフレのこういう言葉をすんなり受け止めて「流石ベスフレは考えが深いなぁ」と思う所なのですが、上記の考えに関してはイマイチしっくりこなかったんですよね。
どうしてしっくりこなかったのかを考えた結果、僕自身あまり他人に対しての「人間だからこうだろう」「人間だからこう接しよう」という風な意識が薄かったのだということに気付きました。
もちろん、人間であるからこそ「他人」と言う存在に対して「言葉を介する」であるとか「金を好む」「時に利他的である」等々の「特性」があることは理解していて、それを踏まえた振る舞いを心掛けてはいるのですが、それはあくまで「ヒト科ホモ・サピエンス」である人間の「生物的特徴」であって、いわゆる社会における役割分業的な意味での「属性」とはちょっと違うんじゃないかなと思ったからなのかなと。
ただ、僕自身既に「人間」という大きなくくりでの共通理解は既にあきらめてはいるのですが、もう少し狭いくくりの「弱者男性」であるとか、「非モテ」であるとか「童貞」であるとか、そういうところの「共通属性」に共感や同質性を求めて甘えたいという欲求はあって、それ故にコミュニケーションを失敗してしまって辛い思いをしたことはあるので、そういう意味では「属性」というものの持つ意味や活用の仕方をもう少し考える必要はあるのかなと思いました。
ベスフレ見てる~~?
