どうも、たかしです。
皆さん、クソコメしてますか? もうマジで今すぐやめましょう。
以前、YOUTUBEに投稿している動画が再生数1000を超えそうになったぐらいの時期に、来たるべき「クソコメ」に対しての心構えを考えた記事を投稿したのですが……
本当そのすぐ後だったのですが、投稿した「浸透槽DIY」の動画が再生数1万を超える予想以上の反響を得まして、「これはマジでYOUTUBEで生きて行けるのでは?」と思ったのもつかの間。
1万人以上にも動画を見られているということは、もちろんその中には様々な思考・信条・性格の方がいらっしゃるわけでして……
とうとうついてしまったんですよ。クソk……ありがたいコメントが。
あ、ありがたすぎる……。
これ以外にも結構な数のクソk……ありがたいコメントをいただきました。
まあ、書いてある内容も「まあ、そう思っても仕方が無いよね」「そういう感情になる人もそりゃいるよね」といった感じの物でしたので、別に本記事に置いてそれらのコメント一つ一つに反論だとか意見だとかをするつもりはありません。
今回この記事でお話したいことはそんなことではなく、このような「批判的なコメント・リプライ」を付けられてしまった時のメンタルコントロール的な部分についてです。
僕に今回送られてきたコメントは、近年問題になっている「誹謗中傷」の類ではなくあくまで「批判的なコメント」程度の物だった訳ですが、それでもやはりそれなりに心へのダメージはありました。
今回の記事では、「批判的なコメント」含め「クソコメ・クソリプ」が送られてきた時の心構えについて、僕の場合の実例を踏まえつつお伝えしていきます。
「批判的なコメント」に対して僕はどのように対応したのか。なぜそうしたのか。
「クソコメ」の数だけ「味方」も増えるというのはどういう意味なのか? ご説明していきます。
それではやっていきましょう。
①クソコメが付いた時の心の動き(僕の場合)
まず初めに、僕自身が「批判的なコメント」を付けられてしまった時の心の動きについてお話しさせてください。
1.気持ちの流れの全体像
クソコメがついてから現在までの心の動きをザックリと説明すると、大体こんな感じでした。
とうとうクソコメが付いた! 嬉しさもあるけど、なんだか心がざわつく……
何だコイツ、法律とか持ち出してるけど間違ってるし。僕のブログ読めば分かるのに!
誰も分かってくれない……もうこれは「クソコメ反論」動画を出すしかないか……。
やっぱりリア友は最高だ!
やりたいことはいっぱいあるし、クソコメとかどうでもいいか。なんであんなにイライラしてたんだろ。
やっぱり分かる人は分かってくれる!
途中に気持ちの落ち込みのピークがあって、そこからだんだん気持ちが上向きになっていっているのが分かると思います。
ここからは「気持ちが落ち込んでいくまで」と「気持ちが上向きになるまで」それぞれのプロセスについて解説していきます。
2.気持ちが落ち込むまでのプロセス
何だか心がザワつく……
最初の方はクソコメが付いても心に余裕があったため、「とうとう自分にもクソコメがついた!」とどこか喜ぶような心境すらありました。
ですが、心のどこかではやっぱりザワつきがあって、何だか落ち着かないような、居心地が悪いような、焦燥感にも似た気持ちがあったように思います。
クソコメ反論動画を出すしかないか……
一つのクソコメが付いたらそこから立て続けに批判的なコメントが2つ3つと長文で付いて、そこからはもう完全に心穏やかではいられない時間が続きました。
また批判的なコメントが付いていないかを気にして何度もコメント欄を覗いたり、「クソコメ反論動画」を出すとしたらどんな内容にするか、どんなことを行ったらいいかを考えたりなど、まさしくこの時はクソコメに頭の中を支配されてしまっていたと言っても過言ではないぐらいの精神状態だったと思います。
3.気持ちが上向きになるまでのプロセス
やっぱりリア友は最高だ!
気持ちが上向きになる最初のきっかけは、友人や先輩などリアルでつながりのある人たちからの励ましの言葉だったり、差し入れだったりがまず大きかったと思います。
僕は基本的にリアル知り合いにはブログだったりYOUTUBEだったりtwitter(現X)だったりを完全公開しているのですが、そのおかげでクソコメが付いたことに僕がショックを受けている状況を察してくれたリアル知り合いの方が、色々と木にかけてくださったことは本当の意味で有難かったです。
また、クソコメがどんどん増えていく様子をtwitter(現X)で頻繁に呟いていた時に、フォロワーの方たちがイイねをくれたりして、「ネットにも自分を支持してくれる人がいる」という事実は大きな心の支えになっていましたね。
やりたいことはいっぱいあるし、クソコメとかどうでもいいか
気持ちが上向きになってくると、あれほど心の中を支配していた「クソコメ」がどんどん自分の中でどうでもよくなってくるのを感じるようになっていきました。
実際、小屋暮らしを実現するために僕にはやりたいことがいっぱいありましたし、「クソコメ反論」とかやってる場合じゃなかったんですよね。
心の余裕が出てくると、目の前の今やるべきことがはっきりしてきて、それに打ち込んでいるうちにますますクソコメがどうでもよくなって……と、どんどんと心の動きは正常な方向に向かっていきました。
やっぱり分かる人は分かってくれる!
しばらく「浸透槽DIY」の動画に関して、コメ欄を気にすることも無く日々を過ごすようになっていたのですが、何とここ最近は「クソコメに対して批判的」なコメントがちらほらと付くようになってきていて驚きました。
中には「皆さんこの人のブログをきちんと読みましょう。以下にブログ内容を抜粋しておきます」だなんて、わざわざ当ブログの記事を確認したうえでコメントをしてくれる人までいて、これは本当に有難かったですね。
②結局クソコメとはどう向き合うべきなのか?
今回、実際にクソコメを付けられ心が大きく揺れ動き、またそこから上向きに精神状態を持ち直していった経験から言える、「クソコメとの向き合い方」について述べていきます。
1.基本的にはどう扱ってもいい
これは前回の「クソコメ錬金術」の記事でも同様のことにはなるのですが、基本的にクソコメに関しては、クソコメが付いた時点でコンテンツとしては良い兆候でしかなく、そこから先はどう扱っても(コンプラ・法令違反にならない限りは)問題ないという考えは、今もなお変わりはありません。
今回に関して言えば僕はクソコメに対して、そのコメントの間違っている部分に対しては返信し、また同意できる部分に関しては認めるといった至極無難な対応しかしなかったのですが……
もちろんこれに留まらず、一旦は思い至った「クソコメ反論動画」的な物を投稿して、クソコメを更なる動画コンテンツの礎としても良いですし、実際そのようにされているユーチューバーの方も多数いらっしゃいます。
またそれとは対照的に、完全スルーだったり、もしくはコメ消しをしてしまうであったり、コメント欄そのものを非表示にすることだってYOUTUBEはできますから、そのどれもが「クソコメへの対応」としては正解だと僕は思います。
ただ、これらクソコメへの対応とは別に、クソコメを付けられて気持ちが動転している時に気を付けなくてはいけないなと今回僕が感じたことが一つあります。
2.「自分のコンテンツブランド・方向性」と照らし合わせて行動を選択することが大事
今回僕が「クソコメ反論動画」的な物を出さなかったことの大きな要因はこの「コンテンツブランド・方向性」を考えた時に、自分の提供したいコンテンツと「クソコメ反論動画」が交わりづらい物だと感じたからです。
例えば、僕が尊敬するユーチューバーであるトーマスガジェマガさんや、芸人の粗品さんなんかはコメントへの反論動画というものを良く出されているのですが、この方たちのコンテンツのブランド・方向性と「クソコメ反論」は非常に親和性が高いからこそこれが成立しているのだと僕は考えています。
僕のYOUTUBEチャンネルは当然「小屋暮らし開拓の様子を発信する」というブランド・方向性でやっていくつもりなのですが、果たして「小屋暮らし開拓の様子が見たい」という方が、僕が「クソコメ反論」している動画を見たいと思うでしょうか?
恐らくそうではないですよね。もっとほのぼのとした日々の生活の様子だったり、DIY・小屋建築・土地開拓の様子を投稿するYOUTUBEチャンネルにおいて「クソコメ反論」はノイズにしかならないのではないかと思います。
つまり、クソコメをどう取り扱うかに関しては、心の動揺そのままに対応するのではなく、場合によっては「自分の運営するコンテンツのブランド・方向性」と照らし合わせつつ対応を考えることが大事だということだと僕は考えているのです。
③「アンチの数だけ味方も増える」は本当だった
もう一つ、今回の記事で僕がお伝えしたいことは「アンチの数だけ味方も増える」という言葉は本当だったということです。
ちなみにこの言葉は上記でも例に挙げたトーマスガジェマガさんが、自身もぜひ見てほしいとお勧めしているご自身の動画「批判を怖がらなくていい理由【時間は自分のために使うべき】」でおっしゃっている「批判されるだけ味方も増える」という言葉を僕なりに解釈したものになります。
実際、今回クソコメを付けられてから僕はリア友の方々から励ましを受け、またネット上でもイイねを普段より多くもらったり、最終的には動画自体にも賛同的なコメントを付けてもらえたりするなど、多くの味方を得る経験をしました。
なぜ「アンチの数だけ味方も増える」のか僕なりに考えてみたのですが、恐らくそこには以下の要因が関わっているのだと思います。
- クソコメが付くことで、そのクソコメに反感を覚える人が反応を示す
- クソコメの言及により「そのコンテンツの焦点」が明確化され、後から見た人の理解がより深まる
まずクソコメというものが「公開されているコンテンツに対し反感を覚えた人の意見」であることを踏まえると、実はクソコメ自体も「公開されたコンテンツ」となり、更にまた「『クソコメというコンテンツ』に反感を覚えた人の意見」がコンテンツに付くことで、客観的にはコンテンツに対する擁護意見が付いたように見えるということなのではないかなと。
また、クソコメというのは良くも悪くもそのコンテンツの最も注目すべき点が集約されている意見になることが多いのではないかと思います。そのため、クソコメの後からコンテンツに関わった人は、そのクソコメを踏まえてコンテンツを消費することができるため、より動画の焦点がどこかを理解することができ、結果として動画のよりよい理解者となる可能性が高まるのではないでしょうか。
「アンチの数だけ味方は増える」「クソコメの数だけ理解者が増える」のであれば、基本的にはクソコメに関してはスルーしておいても問題は無いのだと僕は思えるようになりました。
「クソコメがクソコメを呼ぶ」ということもあり得ますが、それ以上に「クソコメはそれに対する反対意見(=味方)を呼ぶ」ともいえるのです。
④まとめ
今回は僕が実際に体験したことを元に、「アンチの数だけ味方も増える」という言葉の真意と、クソコメに対する心構えについて考えていきました。
クソコメに対しては基本的にどう対応しても間違いではないという考えに変わりはありませんが、しかし自分が運営するコンテンツのブランド・方向性と照らし合わせることをせず、心の動揺のまま対応をしてしまうのは危険だということが現時点での僕の考えだということを本記事ではお伝えしていきました。
結局1万再生数を超えたのは「浸透槽DIY」の1回きりで、その後2本出した動画はどちらも今のところ目立ったコメントは無く平和そのものです。
ですが、次またいつ「批判的なコメント」が付くかは分かりません。
次また批判的なコメントが付いた際には、今回の体験を通して自分で得たことを元に、コンテンツのブランド・方向性を見失うことなく対処していきたいと思います。
また、もしこの記事をご覧になっているクソコメに悩まされている方がいらっしゃったのならば、本記事がお悩み解決の一助になれたらこれほどうれしいことはありません。
もし「自分には見方が誰もいない!」と追い詰められてしまっているような状況であるならば、ぜひどうか自分の周りにいるあなたの味方になってくれているであろうひとに愚痴の一つでもこぼしてみるとずいぶん変わってくると思います。
なんなら当ブログのコメント欄でも構いません。ご自分の気持ちを整理するという意味でも、ぜひ愚痴でも何でもこぼしていってください。
全てのコンテンツを生み出す方たちに幸あらんことを。
以上で今回の記事は終わりです。
また次回の記事でお会いしましょう。ここまでお読みいただきありがとうございました。