どうも、たかしです。
つい先日、僕が現在小屋暮らしをしている山奥集落のお盆行事である「迎え火」に参加してきました。
「迎え火」とは
お盆の時期にご先祖様が帰ってくるための目印として、庭や玄関先で焚く火のこと。お盆終わりに焚く「送り火」と対になっている。
いつもの町内会メンバー(平均年齢60歳ほど、十数名)で集落内にある寺(今や廃墟だが)の前に集まりました。
そこに建っている鉄塔が、旗の掲揚塔のようになっていて、火のついたろうそくをいれた透明な箱を紐で吊るし上げるというのがこの集落の送り火となっているようです。
この日、集落のお盆行事に参加したことにより、また少しこの集落の歴史事情を知ることになり、過去の繁栄と現状、そして行く末について思いをはせることとなりました。
今回の記事では、僕が小屋暮らしをする山奥集落の歴史や現状、それらに触れて感じたことなどについてお伝えしていきます。
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①集落の「迎え火」から分かったこと
廃寺の鉄塔に迎え火を掲げ後、一行は集落に入ってくる2カ所の道のうち、細い方の入口へと移動しました。
これまで僕も何度か通った場所だったのですが、その時初めてそこに石の祠に収められたいくつもの地蔵が道沿いに何体も並んでいることに気が付きました。
どうやら集落の「迎え火」行事では、寺に火を掲げた後ここの地蔵群にお参りするというのが一つの流れになっているようです。
そのお参りの内容は非常にシンプルで、赤い提灯がいくつかぶら下がっているひもを地蔵近くの木の枝に吊るし簡単に飾った後、全員で一回お参りをするといったものでした。
提灯には火すらつけず、お参りをしたらすぐに提灯を外して撤収するといった流れで、恐らくかつては火をつけてしばらく掲げておいたものを縮小して今の形になったのだろうなというのが見て取れるものでした。
お参りをした後、少しだけ集まった人たちで雑談をしていたのですが、その中で僕は気になっていたことを聞いてみることにしました。
「何でこんな場所にお地蔵様がいくつも並んでいるのですか? これらは集落の守り神か何かなのでしょうか?」
すると一人の方が教えてくれました。
「昔この場所には関所のようなものがあって、このお地蔵様はその頃の名残だよ」
つまり、この集落がある場所というのはその昔、人が多く行き交う街道沿いだったということなのです。
②山奥集落の歴史
これはまた別の住人の方から聞いた話なのですが、この集落はまだ移動が徒歩が主流だったころで、村の間を山を越えて移動する際の通り道となっていた場所なのだそうです。
現在僕が住んでいる空き家の裏手の山林の中にも、実に不自然な位置にポツンとお地蔵さまが置かれているのを見つけたことがあります。
見つけた当時は何でこんなところにお地蔵様が置かれているのか不思議でならなかったのですが、山林の中を歩いているとところどころ通り道のようになっている場所があるのが分かります。恐らくはここも、かつては山越えの際に利用されていた通り道だったということなのでしょう。
この集落自体ちょっと不思議な場所にできていて、山間部のほとんどの民家が今や舗装されている太い国道沿いに建っていて、集落も国道を内包するように点々としているのに対し、僕が今住んでいる集落は国道から細い道に入り、しばらく進んだ外れにポツンと成っています。
しかしそれは、集落が道から外れてできているのではなく、主要な道自体が時代と共に変わっていった結果取り残されてしまったというのが恐らくは正しいのでしょう。
集落を少し上がったところには立派な神社があり、今となっては廃墟となってしまっていますが大きな寺まであったということですから、かつてこの集落が重要な場所であったのであろうことは想像に難くありません。
集落の住人が小学生だったころはまだ寺も健在で、夏休みには地域の小学生が集まって寺に宿泊して過ごす林間学校的なイベントの場所として活用されていたということです。
4~50年前でも集落内には10世帯以上残っていたとのことなので、それよりさらにさかのぼればもっと多くの住人がいて、この集落は現在とは比べ物にならないほどの賑わいを見せていたことでしょう。
③現在の集落の姿から、その行く末に思いをはせる
現在ではこの集落に住んでいるのは、小屋暮らしをしている僕含め4、5世帯ほどしかいません。
地域の行事も、町内会の集りごととしてまだいくつかは残っていますが、それも「迎え火」の様子からも分かるようにどんどん簡略化・縮小の方向で動いているようです。
神社で行われるお祭り(神事)も、昔は新年のお祝い含め年に複数回行われていたのが、今では新年の神事も無くなり秋と春の年2回まで減らしてしまったそうです。
町内会の参加メンバーが減れば、当然その予算も減る訳で、それにつれて行事ごとの量も減らして行くしかない……当然の話ですよね。
集落内では住人が田んぼや畑を運営していますが、それも年々辞めて行く人が増えているようです。
集落内にたくさんある田んぼや畑。僕が最初に見た時驚愕してしまったぐらい、野球場の半分ぐらいはあるとても広い面積を防獣の柵ですっぽり覆っているとても立派な物なのですが、それも全体の3分の1ぐらいは何も作物が植えられておらず、一部に関しては草刈りすらせず草が生えるにまかせる状態になってしまっています。
一度人が手を入れるのをやめてしまえば、全ては野へと帰っていきます。この集落は今まさに、山林の一部へと帰って行っているその過渡期にあるのかもしれません。
今は電気も水道も通っていて、集落内にゴミ出し場所さえありますが、住人がいなくなれば当然それらインフラ整備もされなくなるでしょう。
もしかしたらこの集落最後の住人に僕がなるのかもしれない。
そんなことを考えながら野に帰っていく田や畑の跡地を眺めて集落の今後に思い馳せていると、そんな過渡期に今この場に居られていることがなんだかとても希少な物のような気がして、光栄な気持ちにすらなってくるのです。
以上で今回の記事は終わりです。
また次回の記事でお会いしましょう。ここまでお読みいただきありがとうございました。