どうも、弱者男性です

今回の漫画は、弱者男性が「声を掛けただけで不審者になってしまう」のはどうしてなのかについて考えています。

当ブログをご覧になっている方の中には、自分のことを「弱者男性」だと考えている人がかなりの割合いらっしゃるのではないかと僕は考えています。僕の勝手な予想として、8割以上はそうなのではないかという体でブログの記事を書いています。

「弱者男性」という存在をどのように定義するのかは、それはそれでかなり解釈の幅があって複雑な解説が必要になってしまうので、今回の記事では置いておくとして……。

僕は、弱者男性が抱える生きづらさというのは、その大部分が「弱者男性」であることから生じる「キモさ」にあるのではないかと考えています。

今回の記事では冒頭の漫画の補足として、なぜ弱者男性は「キモい」のか、そして弱者男性はどうやって生きていったらいいのか、などについて僕の考えを述べていきます。

どうかこの記事が、世の中で生きづらさを抱えている弱者男性の方々の参考になればと思います。

それではやっていきましょう。

①「キモい」の裏に隠れたスーパーエゴ的視点

まず最初に言いたいことがあります。

僕自身は「弱者男性」のことを「気持ち悪い」などとは全く思いません。当たり前です。僕自身が自分を「弱者男性」だと自認しているのに、どうして気持ち悪いなどと思えるでしょうか。

では、にもかかわらずどうして僕は「弱者男性はキモい」などと断じているのか。

それは「キモい」という形容表現が「他者からの評価」、とりわけ「女・子供からの評価」に準じている言葉であると僕が考えているからです。

つまり、「『女・子供』が『気持ち悪い』と思うであろう」物への形容表現が「キモい」ということなのです。ですから「弱者男性」は「キモい」、と僕は断じているのです。

分かりやすい(?)図解

う~~ん、メタ的ぃ~。

②なぜ弱者男性は「キモい」のか?

こちら、草津市の「幼児・児童・生徒への不審者事案」のデータベースを見ても、女性よりも男性の方が不審者として扱われることが多いのは明らかです。「弱者男性」がいるのと同じく「弱者女性」も存在しうるはずなのに、です。

それは一体なぜなのか? なぜ「弱者男性」はここまで「キモがられて」しまうのか?

弱者男性が「キモい」理由。それは、男性自体が社会にとって「立場」ありきの存在だからだと僕は考えます。

女性には、男性には無い生まれ持った社会的な役割があります。それが「子供を産む」という役割です。

「子孫を増やす」という点においては、男性という存在は女性よりも圧倒的に需要が少ないと言えます。例えば「子供を10人産む」といった際に女性は複数必要なのに対し、男性は一人で事足ります。生物学的に、男性は繁殖における必要性が低いのです。

以上のことから、男性には生まれ持っての社会的役割はほとんどありません。男性にとって社会的役割とは後天的なものなのです。

男性にとっての社会的役割は「狩猟者」であったり、「兵士」であったり「参謀」であったり、更には「王」であったりするわけですが……では、これらのような役割が得られなかった男性は?

狩りもできず、群れを率いることもできず、戦うこともできない……そんな男性が社会に、「女・子ども」にどのような目線で見られるかは想像に難くありません。それこそが「キモい」ということであり、そして、現代においてそのような目線で見られている者こそ「弱者男性」なのです。

③弱者男性はどう生きるべきか

「役割」を持たない男性は、本来社会においては不要な存在のはずでした。

ですが、クソ有難いことに現代社会においてはそのような男性にも食いつないで行ける術が与えられているため、「弱者男性」は生きづらさを抱えつつも生存を許されているというのが現状です。

なのでクソ有難い現代社会にしがみつき、日々苦しみながらも、愚痴や呪詛を吐き連ねながらも、細々とその生を終えるまで生きていくというのも、「弱者男性」の一つの生き方です。

ですが、僕はそれは危険だと考えています。

何も役割を持たないまま、不要な存在とされたまま生きていくことに人間が耐えられるはずが無いのです。恐らくほとんどの「弱者男性」は現代社会において冷遇され過ぎている自身の境遇に耐えられず、「自分の役割」を無理やりにでも社会の中にねじ込んでしまう事態に陥ってしまうのではないでしょうか。

それこそが近年引き起こされている「無敵の人」によるテロまがいの事件につながっているのではないかと、僕には思えてなりません。

では、「弱者男性」はどうすれば平和に生きていくことができるのか。

僕の出した答えの一つこそが「小屋暮らし」です。

このクソ有難い社会から脱出し、自分の役割を自分自身で創造し直すことこそが、弱者男性が平和に生き延びる最も最適な方法なのではないかと僕は提案します。

当然、至れり尽くせりなこの現代社会から脱出するわけですから、苦難はあるでしょう。小屋暮らしの中で自分の価値を見出すことだって容易ではないと思われます。

ですが、このクソ有難い社会の中に埋没して、自分に何の価値も見いだせないまま、自分のことを「キモい」などと評価して生きていくよりは、よっぽど希望を見出すことができるのではないでしょうか。

以上で今回の記事は終わりです。

また次回の記事でお会いしましょう。ここまでお読みいただきありがとうございました。

弱者男性に光あれ!!